頭痛動機眩暈によく効きますが
 雨の降る日は何故か気分を憂鬱にさせる。偏頭痛が酷くなり、それもあって目の疲れるペースも早くなる。だが屋内競技であるバスケはそんな日であろうが部活は普段通りある。用意をして、指示をして、練習、試合、そして個人練。部長である赤司はいつものように部誌を書き、戸締りをしながら寮への帰路についた。
 長い距離ではないがザーザーと降る雨はスラックスの裾を汚す。洗濯も溜まってきたかな、部屋の状況も考えると頭痛が増した気がする。
 両親があまり家にいることもなかったため、ある程度のことは一人でできる赤司ではあるが親元を離れてというのは初めてでこの生活になってから半年にはなるもののまだ完璧に慣れたとは言えずにいた。バスケが心のほとんどを占めるような生活をしているから寂しいだなんだと考える暇はないがふとした瞬間に自分で全てしなければならない億劫さを感じることはある。
 また、中学の時分より付き合っている紫原との距離が遠くなったことも赤司にとっての知らない内にできた負担となっていた。
 離れるとなった時、紫原の方が「絶対連絡する」と言っていたのに対し、赤司はそこまで熱くはなっていなかったのだが、いざ離れてみると連絡すると言った通りに連絡をよこす紫原に救われていた。
 一言だけ送られるメールや、東京を出発する前に教えたスカイプ。通話も週に一度は必ずする。三月半ばから練習に参加していたことを考えるともう半年近くこんなことを続けているということになる。何とも甘い恋人同士だ、と思えるが赤司にはそれがまた不安でもあった。


 自室に戻っても出迎えるものはいない。それは変わらないことだからどうだっていいことだが、冷えた身体は食欲もない。売店で買ってきた湯を入れるだけのパンスープとサラダを机上に並べてぼんやりと服を脱ぐ。
 濡れた服を触ったことによって濡れた手のまま、情報を処理するためにとパソコンをつけると自動的にログインしたスカイプが音を鳴らした。
  赤ちーん、喋りたい
 送られてきた文字に普段であれば次の日に授業がある日はやめるようにと言うところだが、文字に目を通すとすぐに着替えと手洗いうがいを済ませ、パソコンの前についた。
  構わないよ。僕は食事がまだだから耳障りな音が聞こえると思うけれど
 チャットを送信したと同時に着信のメロディが響いた。新学期始まってすぐのスカイプの通話。

「こんばんはー」
 紫原ののんびりした声が赤司の耳にのんびり届く。
「お疲れ様。今日もちゃんと練習できたかい?」
「頑張ったよー。赤ちんはお疲れな感じだねー」
「そんなことないよ」
 から元気にも思える紫原にだけ聞かせる優しい声で呟く。
「あんま無理したら駄目だって言ったじゃん。オレ、この距離だったら赤ちんが倒れても助けに行けねーし」
「健康管理はちゃんとしているから大丈夫だよ。寮もしっかりしている。むしろ敦の方がお菓子ばかり食べて体調崩したりしてないか」
 紫原は見ればいつでもお菓子ばかり食べている。いくら動くと言っても過剰な糖分と脂肪分は身体にとても悪い。どうやって分解しているのか不思議なくらい伸び伸びとしているがしわ寄せがいつ来るかと考えると恐ろしく、赤司は話す度に注意している。
「そんなことよりオレは赤ちん不足で死にそう~」
「ふふ、この前会ったばかりだろう。またバスケしていたらすぐに会えるさ。この前もすぐだっただろう」
 インターハイが終わってからまだ一ヶ月も経っていないがバスケをする毎日は忙しく、目まぐるしい。気付けばウィンターカップともなりかねない。
「敦は次会うときにまた強くなってると信じているよ」
「めんどくさいしー赤ちんが練習付き合ってくれたらいいのに」
「流石にこれだけ距離が離れてたら無理だな」
 紫原と話していると少し腹が減ってきたのか赤司は並べていたスープとサラダを開封する。沸かしていた湯を注ぎ混ぜてサラダから食べる。
 しゃく、しゃくという音は紫原の方に勿論聞こえる。
「何食ってるの?」
「今はサラダ。あとはスープかな」
「それだけ?」
「今日はそれだけ」
「少ないよ、赤ちんもっと食べないと。潰れちゃうよ」
「大丈夫、僕は強いから」
「それはそうだけどさ」
 でも、と続ける紫原の声は何も続けず消えた。
 静寂の中で赤司の食べる音が響く。赤司が紫原の方の生活音に耳をすませると遠くテレビをつけているのが分かる。
「(僕と話しているのにテレビでも見ているのかな)」
 寂しいような、どうしたらいいのやら。

「あのさ、オレと赤ちんは最初で最後の恋だよね」
 遠くテレビからラブソングが聴こえてくる。それを耳にしながら紫原は呟く。
「そう言ってくれるのもいつまでかな」
 決壊しそうな胸の内をどうにか隠しながら赤司は笑う。
「はぁ!?何言ってんの?オレには赤ちんだけだし」
「それは嬉しいな」
「冗談だと思ってるっしょ。オレは本気だよ」
 声しか聞こえていないがスピーカー越しに叫ぶ声が聞こえる。
「うん、聞こえてるよ。隣の部屋の人にもきっと聞こえてる」
「赤ちん何で分かってくれないの」
 犬であれば耳が垂れていそうな声色だ。
「(僕だって今すぐ会いたい。そんなこと言えない。声を聞けるだけで満足だ。)でもあいたい」
 赤司からぽろっと出た本音は頭の中で呟いたつもりのものだった。しかし

「今から会いに行く」

 そう宣言した紫原からの音が消えた。スカイプの落ちる音と共に。
 今からと言っても秋田と京都という距離。今すぐと言ってももう新幹線もないだろうし航空券もすぐとれるものではないだろう。
 それなのに赤司は紫原なら本当に来てしまう気がして。
 あの大きな歩幅が、長い腕が来るのかと思えば、来れないにしても来ると言った紫原の声に赤司からは涙がこぼれていた。


 食べ物も喉を通らないと思っていたのにサラダとスープを食べ終わってもまだ物足りなく思えた。心が満たされると腹も減るものなのだと。
 買い置きのものを別に食して身支度を整えベッドに入る。
 しかし期待で眠気は一向にやってこない。気付けば朝日が昇り。やっとうつらうつらとした所で携帯の着信が鳴った。
 ぼーっとした目で携帯をとる。
 メールが一件。昨日来ると言った紫原からだ。
  あと新幹線に乗ったから学校までの地図送って

 眠気も一気に消えるほどに驚く内容だがとは言っても覚醒しきっていない頭は言われるがままに地図を送る。


「八時五分に着くってー。赤ちん朝練だね」
 頭が覚醒してすぐに電話をすると紫原から返ってきた返事はこんなもの。
「今日は体調が悪いから朝練は休ませてもら……う」
 尻すぼみになってしまう。責任感がある赤司には主将だからという気持ちがあるのだろう。一年生で高校覇者の主将というのは見せないだけであってそれなりにプレッシャーもあるのだ。
「そっか。じゃあ会えるね」
「ああ、待ってる」

 監督に連絡し、病院に行くと告げれば寮を抜け出すことも可能だ。実際に病院に行けば問題はない。誰と一緒であろうと病院では誰かが漏らすこともないのだから。

 八時十分頃。普段なら汗を流しているところだが、京都駅で待っていればすぐに分かる長身が歩いてきた。
「いらっしゃい敦」
「赤ちん、会いたかった~」
 赤司をぎゅっと抱きしめる巨体は前よりも厚みが増したようだ。その分力も強くなっていることだろう。
「どうやって来たんだ」
「んーっと、夜行バス探して乗ってー東京着いたら新幹線探してーって感じ」
「わざわざありがとう」
「だってオレ赤ちん愛してるし」
 ふにゃっと笑う笑顔を見せる紫原は抱きしめる力から考えると幼い。が、その力と行動力は赤司の疲れた体も癒す程の力があるように思える。

「そういえば敦は昨晩、僕への恋が最初で最後の恋と言ったね」
「うん」
「僕にはそれがよく分からない。恋なんて甘いモノはすぐに消えてしまいそうだしまず僕は敦のように甘いモノが好きではない」
「そうだったね」
 しょんぼりするように紫原は赤司の目を見つめる。吸い込まれるような瞳だ。
「でも」
 目にもとまらぬ速さで赤司は紫原の唇を奪う。
「僕の敦に対する愛は唯一のものだよ」
「うん」
「僕は敦が最初に握った手の強さを覚えているからね。敦の才能は本物だから」
「オレもまた赤ちんと同じチームでバスケしたいなぁ」

 紫原の明るい笑顔に眩暈。
 ふわりと
 崩れる身体を紫原は支える。

「ちょっと、危ないって」
「敦が来るのが楽しみで眠れなかったんだ」



 赤司が笑うとつられるように紫原も笑んだ。